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第4師団『イタリア』

第4師団『イタリア』 - 歩兵師団 
1943年11月にビュルテンブルク練兵場で組織された「イタリア」師団は訓練終了後、本国に帰還するとカルローニ将軍指揮の下、ゴシックライン防衛線に投入された。「モンテ・ローザ」師団や「サン・マルコ」師団らが担当していた地域を新たに任された同師団は9輌のM42突撃砲など数少ない対戦車車両を頼りに粘り強い防衛戦を展開し、1945年4月末に弾薬・物資の枯渇によりポー平原に後退するまで長きに渡って戦い抜いたが、終戦間際にフォルノーヴォで連合軍に降伏、短い部隊の歴史に幕を下ろした。
支援軍部隊
第8ベルサリエリ義勇連隊『ルチアーノ・マナーラ』
第1ベルサリエリ大隊と他の義勇兵部隊と統合する形で連隊に格上げされ、ヴェローナにて組織された義勇軍部隊。
指揮官にはフィッチーニ大佐が任命され、三個大隊を擁する同連隊は各戦闘に参加していく。
第1大隊『B・ムッソリーニ』はカヴァレッティ少佐を大隊長にユーゴスラビアのチトーパルチザンとの戦いに投入され、後にイタリアからチトーの支援に訪れたイタリアパルチザン『ガリバルディ旅団』とも銃火を交えた。1945年には「ガリバルディ旅団」の撃退に成功しているが枢軸国敗戦により退路を失い、戦後成立したチトー政権に戦犯として拘束され、過酷な捕虜生活を強いられた。第2大隊『G・マメーリ』は正規軍の第4師団「イタリア」の補充兵としてガルファーニャ戦線に派遣され、同師団と運命を共にした。第3大隊『E・トーティ』は本拠ヴェローナの防衛に徹し、ムッソリーニ処刑による政権崩壊に伴い解散した。
ベルサリエリは狙撃兵の意味で精鋭とされた。

『サン・ジウスト』装甲隊
1941年からユーゴのイタリア軍部隊に所属し、休戦後はゴリツィアに駐屯していたテグネッティ陸軍大尉率いる二個戦車中隊を前身に発足された。スパラートで僅かな装備の補充を受けた装甲隊「サン・ジウスト」はユーゴへと踵を返し、スロヴェニアで反乱軍との戦いを再開する。大戦末期には国土防衛の為、イタリア本土へ召還され北進する連合軍とも戦闘を行った。ムッソリーニ処刑による政権崩壊に伴い降伏する。

『レオンチェッロ』装甲隊
イタリア・ロシア派遣軍帰りのズッカーロ騎兵大尉の指導の下、ポルペンナーゼで結成。
司令部中隊、中戦車中隊、軽戦車中隊から編成され、後方警備と治安維持に従事した。

第1突撃大隊『フォルリ』
解隊されていたイタリア空軍第101戦闘航空団の残存兵に、『黒き旅団』(治安維持部隊の項で後述)のアレッツォ駐屯部隊を補充兵として加えて結成、直ぐにゴシックラインの東部地域に展開した。後に別の義勇兵部隊を加えて四個中隊編成となった「フォルリ」突撃大隊は、ドイツ軍の要請で独第278歩兵師団の一員として加わる。ドイツ軍司令部は彼らをドイツ軍部隊の一員として扱い、ドイツ製の装備を携えた「フォルリ」はその期待に応えるべく各地を転戦し、戦線が後方に下がった後も他のドイツ軍部隊の補充部隊として勇敢に戦った。イタリア地方の枢軸軍が総崩れになった1945年4月29日、バッサーノで連合軍に降伏した。
武装親衛隊
第29SS擲弾兵師団『第一イタリア』
同師団はドイツ軍により編成され、ドイツ軍(武装親衛隊)部隊として運用されており、厳密にはRSI軍部隊ではない。しかしながら兵員の全てがイタリア人兵士から構成されている事や、RSI軍と共にイタリア戦線防衛において重要な働きを示した事から記述する。

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2008年12月16日 14:49に投稿されたエントリーのページです。

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